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コラム

印刷いまむかし近代編① 文明開化、印刷の近代化

印刷の歴史

 わたしたちの生活に欠かせない印刷。その歴史を【印刷いまむかし】で発信してきました。
 さて、【印刷いまむかし】新章ということで、前回までのコラムで書ききれなかった『印刷の歴史 近代編』をこちらで紹介していきたいと思います。
 このコラムでは日本の文明開化から平成までの印刷の歴史を3部構成で紹介していきます!第一部では1860~1900年代の、印刷技術の進歩について説明します。
 まずはおさらいとして印刷の種類についてざくっと説明します。

印刷 種類
ほんとうにざっくりしているので、気になる方はwikipediaなどで調べてね

印刷は版の種類から5種類に分けられます。それぞれの印刷の成り立ちや使われ方は【印刷いまむかし】で解説しているのでぜひご覧ください。
それでは『印刷の歴史近代編』、はじまります!

印刷の歴史 日本 1860~1980年代
サ〇マ式ドロップってめっちゃ歴史長いんですね

お雇い外国人と印刷

葛飾北斎 『富嶽三十六景』より
たぶん1番有名な浮世絵

 江戸時代では、浮世絵などの木版印刷が活躍していました。これは凸版印刷の仲間で、木板に文字や絵を浮き彫りにしたものです。活字を組合せる活版印刷は、文字の種類が多い日本では当時はあまり広がらなかったようです。

 文明開化後の政府は、外国人の技師や専門家を招いて最新の技術を学び始めました。このとき外国から招かれたのがいわゆる「お雇い外国人」です。印刷文化を伝えたのはイタリアからやってきたキヨソネ。彼が広めた銅版印刷技術は繊細な表現が可能だったので、紙幣や切手などに用いられました。

 石版印刷も、地図や教科書の作成、美術品の記録のために必要な技術です。1873年に川上冬崖という画家が政府機関で石版印刷の研究を開始しました。彼の研究により、地図や教本が印刷されました。
 政府だけでなく民間でも印刷が研究されました。梅村翠山がアメリカから石版印刷の技術者を連れ帰ったことにより技術と印刷物が広まりました。絵画の表現に優れている石版印刷で、文明開化後の華やかな東京・横浜の様子が描かれ、近代的な日本のイメージを全国に広めることとなりました。

シール印刷の始まり

 シール印刷が日本で始まったのは1912年、大正初年のことでした。イギリス皇室からの贈り物についていたシールを再現できないかと、宮内庁から東京の印刷会社に依頼があったのです。しかし当時の日本の技術では再現が難しく、ドイツ製シール印刷機を導入して初めて完成しました。
 この技術革新をきかっけに、シール印刷の技術はシーリング(封緘)、正札(値札)、レッテル(ラベル)の製造に応用されていきます。

タバコがきっかけで発展!?

 日本の印刷が大きく発展したきっかけは、なんとタバコにあるのです。1905年当時は政府がタバコを専売していたのですが、その専売局がタバコの包装紙を凸版もしくはアルミ板に限定すると指定したのです。
 タバコ包装紙の発注数は莫大なものでした。当時の一般印刷物の発注数が多くても4~5万枚ほどだったのに対しタバコ包装紙は何百、何千万枚もの規模だったようです。
 この莫大な発注数と、次々に発表される美麗なデザインが、日本の印刷技術を底上げしたのです。

ニュースと印刷 凸版印刷

小林清親(1847~1915)『黄海之戦我松島之水兵死臨問敵艦之存否』
1894年に発行された木版錦絵。
この画像は大英博物館のパブリックドメインなので無料で見放題&ダウンロードし放題!

 メディアが発達すると、それをより多くの人々により早く伝えることが必要になります。当時のメディアは新聞や雑誌などの印刷物がメイン。活版印刷はこのような中で量産性が発達しました。
 写真を印刷する技術が登場するのは1890年代に入ってからなので、それ以前のメディアには木版印刷でイラストが付けられていました。活版印刷と木版印刷は同じ凸版印刷なので同時に刷ることができるうえ、石版印刷よりも安上がりでした。1877年の西南戦争や1894年の日清戦争では、木版印刷で刷られた挿絵が戦場の様子を伝えていました。

平版印刷の進化が止まらない

石版から金属版へ

 石版印刷は平版印刷のなかの1種類ですが、文字通り大きな大理石を版として使用していました。石版の代わりに金属版を使うことは、石版印刷の発明者であるアロイズ・ゼネフェルダーがすでに提案しており、金属加工技術の進化とともに石版に取って代わって発達しました。
 日本でも1890年にはすでに亜鉛を使った「亜鉛石版」が一部で実用化され、「ジンク版」とも呼ばれていました。
 1895年ごろには海外でアルミニウムが版の材料として実用化され始めました。日本でアルミニウム版が輸入されたのは1899年のことで、タバコの箱や包装紙への印刷に使われていました。

平台から輪転式へ

ゼネフェルダーの石版印刷機
1刷ごとに紙を入れ、版にインキをつける「平台印刷機」

 日本に初めて輸入されたアルミニウム版印刷機は直刷輪転式のものでした。輪転式の印刷機は、当時主流だった平台印刷機に比べるとスピーディーに印刷できます。平台印刷機は「1枚目を刷る→版にインキを付けなおす→次の紙をセットする→2枚目をする…」といった流れになりますが、輪転式は「機械をセットする→ローラーを回す→どんどん印刷されていく」ぐらいスピーディーなのです。
 輪転式印刷機では版を筒状にする必要があるので、石版では使用できません。安価で軽く取り扱いやすい金属版と、スピーディーな輪転機が導入されたことで、石版印刷は次第に工業・商用印刷から撤退していきました。石版印刷はその後芸術分野に活躍の場を移すことになります。

オフセット印刷 登場

版に付いたインキをブランケットに移し、用紙に転写している。
ロール状の長い紙に一気に印刷した後で紙を裁断する「輪転式」

 現在の平版印刷はほとんどの場合オフセット印刷が用いられています。オフセット印刷が発明されたのは1904年、アメリカでのことでした。(詳しくはこちら)  
 日本にオフセット印刷がもたらされたのはその4年後、1908年のことでした。オフセット印刷は版の耐久性が高く輪転機での使用も可能だったので、多くの業者が直刷り印刷からオフセット印刷に切り替えることになりました。 

シルクスクリーン印刷の発明

細かいメッシュの隙間からインキを刷り込む。
江戸時代の日本では毛髪をメッシュのように使った捺染もあったそうな。

 捺染とよばれる印刷技法があります。これは印刷したい絵柄に穴をあけた型紙を使用し、穴から布に染料を刷り込むものです。日本では友禅染が有名ですね。捺染のように穴から絵具を刷り込む印刷を孔版印刷といいます。捺染をヒントに、イギリスのサミュエル・シモンは1905年にシルクスクリーン印刷を発明しました。
 シルクスクリーン印刷は鮮やかではっきりとした色の表現が特徴です。また、大きな版を作ることができるので、看板やポスターに向いていました。他の印刷方法と大きく違うのは、様々なものに直接印刷できる点です。元々が布向けの印刷方法なのですから、柔らかかったり曲がったりしたものにも印刷できます。シルクスクリーン印刷は缶詰などに直接印刷するのにも用いられました。

次回予告

進化を続ける印刷技術。しかし勘がいい方は気が付いたかもしれません。
「印刷って文字とイラストだけじゃないよな」「むしろ写真のほうがメインじゃない?」
次回は写真の印刷について紹介いたします。印刷技術のさらなる進化にご期待ください!

印刷いまむかし近代編シリーズはこちら


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