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コラム

インキの歴史① 印刷インキの発明

印刷の歴史

印刷の五大要素

印刷には5つの欠かせないものがあります。それが【原稿】【版】【印刷機】【被印刷物(紙など)】【印刷インキ】です。

これまで『印刷いまむかし』シリーズで【版】【印刷機】、『紙の歴史』シリーズで【被印刷物】について、その歴史をご紹介してきました。
『インキの歴史』シリーズではついに5大要素の4つ目、インキの歴史について、印刷会社ならではの視点でご紹介します!

印刷の歴史コラム 各シリーズ第1回はこちら

そもそもインキって?

インクとインキ、どっちが正しいんだ??
このコラムを書くにあたって最初の問題がこれでした。
みんな適当に使い分けていません?印刷会社でさえそうですよ?

そもそもどうしてこんな表記揺れが生まれたのでしょうか。
そのヒントは『印刷いまむかし近代編① 文明開化、印刷の近代化』にありました。

江戸時代の日本は鎖国政策を敷いており、唯一読むことができた外国語の書物はオランダ語でした。
オランダ語では墨を『インキ』と発音するため、まず『インキ』が定着したのです。
文明開化後はヨーロッパ中から印刷技術が伝来します。
その中で、英語の『インク』が新たに定着したのでした。

ちなみに、おなじ流れで『ラベル』にも『レッテル(オランダ語)』『レーベル(フランス語)』『ラベル(英語)』の表記揺れがあります。
ヤマックスでは主に『ラベル』もしくは『レーベル』を使用しています。

現代では『インキ』『インク』には特別な使い分けルールはありません。
ヤマックスではなんとなく「印刷につかうのはインキ、ペンとかにつかうのはインク」という使い分けをしています。
このコラムでは、印刷用途のものは『インキ』で統一していきます!

最古のインキ

現存する世界最古クラスの印刷物が日本にあるってご存じでしたか?
奈良時代に制作された百万塔陀羅尼経は、100万基の木製容器に収められた、和紙に印刷された経典です。
この時使用されたインキは、ススを膠(ニカワ)で練って作られたもので、水性インキでした。

出展:ディジタル貴重書展(https://www.ndl.go.jp/exhibit/50/washo_1.html)
出展:『無垢淨光陀羅尼』[1],神護景雲4刊. 国立国会図書館デジタルコレクション (https://dl.ndl.go.jp/pid/2584849) (参照 2023-03-16)

ヨーロッパのインキ

中世では長く手書きで本が作られていました。
そのときに使われていたインクはスス、イカスミ、タンニン酸鉄インクなどでした。

手書きの本について詳しくはこちら

中世の終わりごろになってはじめて、ヨーロッパで木版による本の印刷が行われるようになります。
しかしスス、イカスミ、タンニン酸鉄インキは水性で粘度が低いため、印刷には向いていません。
そこで初めて『インキ』の需要が生まれ、1422年にススとアマニ油を練り合わせた印刷インキが発明されたのでした。
この油性インキは木版に乗りがよく、木版印刷が広まる要因になりました。
そしてこのインキの出現によって、印刷史最大の発明であるグーテンベルクの活版印刷が誕生することになります。

印刷用インキの出現と活版印刷

ススとアマニ油で作られたインキは、木版だけでなく金属にも乗りが良かったようです。
これに目をつけたのがグーテンベルク。
油性インキをさらにシャープに活字に乗るように改良し、1440年に活版印刷を発明しました。

出展:インキュナブラ 西洋印刷術の黎明(https://www.ndl.go.jp/incunabula/collection/index.html)

セネフェルダーの発明

グーテンベルクの発明以来、長らく印刷術・インキに大きな変化は起こりませんでした。
次に大きな発明がおこったのは1798年、セネフェルダーによる石版印刷です。

石版印刷について詳しくはこちら

石版印刷の大きなポイントは、カラフルな印刷が可能になったこと。
それまでの活版印刷では、黒一色で文字を印刷した後に、手作業で色付けする手法が主流でした。
カラフルな印刷を行うには木版や銅版が必要で、高価だったのです。
石版印刷は色刷りが容易で仕上がりも美しく、文字だけでなく絵画も印刷できます。
この発明により、カラフルなインキがより求められるようになります。
さらにセネフェルダーは石版印刷だけでなく、赤・藍・緑・黄などの色インキも発明しました。

自家製インキの時代

セネフェルダーは『石版全書』の中で、「印刷インキの製法を試みんとする人は、先ず活版印刷業者が自家用印刷インキを生産するその実情を見学すると同時に、その製法の伝授を受くることを得策とする」(引用:増尾,p140)と記しています。
つまり、当時の印刷業者はインキをそれぞれ手作りしていたのです。
セネフェルダーが著書『石版全書』に記した、当時のインキの製法をご紹介します。

当時のワニスは生産するためにアマニ油を燃やし続ける必要があり、大量に生産するのは危険でした。
また、非常に乾燥しやすいこともあり、保存にも不向きでした。
色料も天然由来のものなので安定性が低く、各印刷工の熟練の技で色を調整し、使う分だけを練り上げることが一般的だったのです。
墨インキのみのインキ製造販売は1755年にイギリスですでに誕生していましたが、質の良い色インキを製造販売できる業者はありませんでした。
ほとんどの印刷業者は自家製インキで印刷をしていました。

自家製インキが主流の時代。
いわゆるインキメーカーはこの時代には誕生しませんでした。
インキ製造が産業として成り立つには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

次回コラムでは、インキ産業が発展するきっかけとなった発明について紹介します。

インキの歴史 シリーズはこちら


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